■常磐線概要

□路線紹介
常磐線は、東京都の日暮里を起点に千葉県北西部、茨城県、福島県浜通りを経由し宮城県の岩沼へ至る、全長343.1kmの幹線。
他に、田端〜三河島〜隅田川貨物〜南千住の貨物支線がある。
管理上の起終点は日暮里・岩沼だが、実際には上野・仙台まで乗り入れており、一般的に常磐線といえば上野〜仙台間を指す。

沿線の茨城県石岡市に地磁気観測所があるため直流電化が出来ず、取手以北は交流電化となっている。
デッドセクションは取手〜藤代間。

(北千住)〜綾瀬〜取手間は複々線で運行本数も多く、上野〜土浦間では最大15両編成(快速列車)で運行されており、首都圏でも混雑の激しい路線の一つである。
土浦以北では一気に運行本数が減り、データイムの普通列車は毎時2本程度となる。
いわき以北ではさらに減少し、2時間に1本程度。また、四ツ倉より北へ行くと単線区間が多くなってくる。
原ノ町以北になると再び運行本数が増加し、概ね1時間1本程度の運転となる。また、相馬以北は仙台への通勤圏に入り、だんだんと混雑してくる。


□歴史
常磐線は、常磐炭鉱から産出される石炭の輸送を目的に計画された。

明治28年、当時の日本鉄道水戸線(小山〜水戸)の太田町(現・宍戸)〜内原間に接続する形で、土浦線(土浦〜友部間)が開通。
現在の常磐線が、常磐道や国道6号と違い水戸への最短ルートではなく大きく迂回しているのはこのため。
なお、当時水戸線に友部駅は無く、土浦線開業に合わせて開設されたもの。

その後、明治29年に土浦線(田端 - 土浦)が開業。
翌、30年には磐城線の水戸〜久ノ浜間、中村(現:相馬)〜岩沼間が開業。
さらに翌31年4月から5月にかけ、磐城線小高〜中村(相馬)間が開業。

そして、同年8月23日、磐城線久ノ浜〜小高間が開業し、全線開通となる。

その後、土浦線・水戸線友部〜水戸間・磐城線が統合され、名称を海岸線に改称。
また、日暮里〜三河島間の短絡線が開通し、田端でのスイッチバックが解消した。

そして、明治39年の日本鉄道国有化と共に、当路線も国有化を迎える。
明治42年の国有鉄道線路名称制定で、現在の名称《常磐線》となった。

国有化後は複線化が進行する。
鉄道が蒸気・内燃の時代は、東北本線よりも平坦だったため、はつかり等東北方面への優等列車は多くが常磐線を経由した。
しかし東北本線が電化され優等列車が電車化されると、多くが東北本線経由へと変更になったが、線路容量の都合上全てを東北本線経由には出来ない為、常磐線経由で残った列車もある。
一方常磐線の電化は、石岡にある気象庁地磁気観測所の観測に直流電化では影響が出るため遅れ、全線が電化されたのは昭和42年のこと。
上記のことから、取手以北は交流電化となった。


■事件・事故
何度か重大事件・事故も発生しており、昭和18年には土浦駅構内で貨物列車2編成と普通列車による多重衝突脱線事故(土浦事故)が発生。
10月26日18時40分頃、土浦駅に着いた上り第294貨物列車が、ポイントの操作ミスにより上り本線へ飛び出し立往生。
そこへ後続の第254貨物列車が衝突し、脱線転覆。下り本線を支障する。
更に、下り第241旅客列車がこれに気づかず突っ込み、客車4両が脱線転覆。
その内1輌が、当駅の側を流れる桜川に転落水没した。
最終的に死者110名・負傷者107名を出す大惨事となったが、戦時中の情報統制により大きな話題とはならなかった。
第241旅客列車には、幼少の坂本九氏が、母親と笠間へ疎開するために乗車していた。
当初は事故車両に乗車していたが、後に車両を移ったため、難を逃れたと言われている。
桜川橋梁近くに、この事故の慰霊碑がある。

昭和24年には北千住〜綾瀬間で下山事件が発生。
当時の国鉄総裁、下山定則氏が綾瀬〜北千住間で轢死体となって発見。
余談であるが、下山総裁を轢断したのは、土浦事故で大破し、修理後運用復帰したD51-651(第254貨物列車の牽引機)であった。

そして昭和37年5月3日、国鉄戦後五大事故の一つ、国鉄三河島事故が発生する。
事故当日の常磐線は、東北地方で発生した地震と、東北本線古河駅で発生した脱線事故により、終日ダイヤが乱れていた。
21時37分頃、貨物線を走行していた田端操車場発水戸行、下り第287貨物列車が、停止信号だった出発信号機を通り過ぎ安全側線に進入し脱線、下り本線を支障。
そこへ、4分遅れで三河島駅を発車したばかりの、上野発取手行下り第2117H電車が衝突。先頭車と2両目が脱線し、上り本線を塞いだ。
この時点では、大きな怪我人は居なかった。
2117Hの乗客は、桜木町事故後に整備された、非常用ドアコックを操作し、上り本線上に避難を開始した。
その7分後、南千住駅を2分遅れで出発した、取手発上野行上り第2000H電車が事故現場に進入。
線路上を歩いていた乗客を次々と撥ね、2117Hの先頭車に衝突した。
これにより、2117Hの先頭車と2両目は原型を留めず大破し、2000Hは先頭車が原型を留めず大破、2〜4両目は脱線し、2両目は線路上から築堤下に落下し線路脇の倉庫へ突っ込み、3両目も築堤下に落下した。
死者160名、負傷者296名を出す大惨事となってしまった。
この事故は土浦駅構内で発生した多重衝突事故と酷似しており、同事故がきちんと検証されていれば、防げたのではないかと言われている。

国鉄はこの事故を機に、元々導入予定であった自動列車停止装置(ATS)の導入を前倒しし、国鉄全線に設置することとした。

■東日本大震災関連
2011年3月11日14時46分頃に発生した、東北地方太平洋沖地震(M9.0)、並びにその直後の茨城県沖を震源とする余震(M7.4)により、鉄道でも甚大な被害が出た。
常磐線では現在も、広野〜亘理間で運転を見合わせており、広野〜鹿島間では、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で、被害調査すら行われていない状況である。
鹿島〜亘理間でも、津波により、軌道や駅舎が流出するなど壊滅的被害となっている。
先日、原ノ町〜相馬間の年内運転再開がアナウンスされた。区間内に留置されている車両は使用せず、701系3編成6両を陸送で搬入し、原ノ町に検査施設を設置して運行を再開する。
相馬〜亘理間については、新地町・山元町付近のルート変更(内陸移設)が決まり、最短5年での運行再開を目指している。

現在、上野〜いわき間は特急列車・普通列車共に平常運行。
いわき〜広野間、及び、亘理〜仙台間は特別ダイヤで普通列車のみ運行中。
また、原ノ町〜亘理間で代行バスを運行している。



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